同じ未来を見ているか

Carl Zeiss Planar T*50mm/f1.4MMJ(YC)
一年に一度の幼馴染達とのギターの会だった(なんで七夕の日にオッサン3人で会う?)
疎遠になっていた幼馴染達とギターを通して再び会ったのが4年前。
学生だった時一緒にバンドを組んでいたヤツらではあったが、今はそれぞれ方向性はバラバラ。
ギターの会、最初の1,2年は楽しかった。
昔話しにも花が咲き、それぞれのギターの品評会みたいなノリも悪くなかった。
でも3回目の昨年あたりから何となくワタシはストレスを感じ始めた。
共鳴が感じられない。
で、今回とうとう正直な気持ちを全部話してしまった。
要は、昔話しはもうネタ切れ、オレは今の自分として全面的に関わりたい、と。
詳細は割愛するけど、結果は拒否。
ギターの楽しい部分だけで良いらしい。
ワタシはすでにそれでは楽しくない。
はじめから分かっていた事だとも思う。
57歳男性の頭は堅い(気持ちは分かるが…)。
色々な事を諦めている者達と道が交わる事はもうないような気がする。
それでも進め。オレ。
名古屋バンドのベーシスト

Olympus M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm/f3.5-5.6
趣味は女装(ウソです。ちゃんと女性です)
努力家です。
一年で全曲任せても大丈夫なくらい上達しました。
さて、今回のバンドはどんな展開になるのか…。
キミを送った日

Carl Zeiss Planar T*50mm/f1.4MMJ
昨日、実家のボス猫の写真を掲載した2時間後に彼は逝きました。
写真の掲載は「むしのしらせ」と言うヤツだったのでしょうか…。
今日(正確にはもう昨日)は急遽相方に予定を変更してもらって、老母と一緒に彼を送ってきました。
昨日「齢19」と書きましたが、「齢20と2ヶ月」の間違いでした。
20年間の思い出は語り尽くせません。
何度目でしょう?別れの悲しさに慣れる事はありません。
でも、この悲しみを感じるほどにハートはさらにしなやかに強くなっていきます。
最大のギフトです。
齢19 人間なら100歳越えてる

ANGENIEX 25mm F0.95 Cマウント(相方所有)
実家のボス猫。
100歳越えても甘えたいらしい。
4月に2年間就任したマンションの理事を退任した。
多くを学べた理事会ではあったけど、この2年間エネルギーが大きく割かれた事は否めない。
理事から離れたら少しのんびり出来るかなぁ、と思っていたら、本業の方で状況は急展開し始め、今は頭の中で4つぐらいのプロジェクトが同時進行しているような状態。
でもね、全部楽しい事ばかりで、全力で動くからエネルギーは加速する一方。
肉体の老化は否めないけど、不思議と動ける。
やっぱり気持ちだな。
やりたくないことはとことんやりたくない。
やりたいことはぜんぶやりたい。
そんな性分です。
力を合わせる

Olympus M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm/f3.5-5.6
世界はワタシが思っていたよりもずっと早く真実に目覚めつつあるようだ。
日本は数年ぐらい遅れていたけど、ようやく、そして急激にその風が吹いてきた。
そんな今、そしてこれから…。
一番気をつけなければならないのは“孤立すること”だ。
自己否定でイジケて、そっぽを向いて、強がっても何の解決にもならない。
目の前に差し伸べられた手があるのなら、自分からつかみに行くだけだ。
黄昏時 ひとつまえ

Carl Zeiss Planar T*50mm/f1.4MMJ
昨年行った姫路城です。
バックにケムトレイル雲が…

ケムトレイルについてはその筋ではもはや有名で、昔写真を始めた頃は「素敵な飛行機雲だ」なんて思っていましたが、とんでもない。
人体に有害なもの(例えばウィルスやら毒物やら)や、気象操作のための下準備素材などを飛行機で散布しているわけです。
インフルエンザや花粉症、認知症、その他諸々伝染病の発症させ…、何のために? 分かりやすいところでは大手製薬会社のもうけのため、さらに追ってゆくととんでもない話に行き着きます。
支配層、カバール、ディープステート、地球外知的生命体の存在、隠されたテクノロジー…。
ちなみにケムトレイルに関してはNASAや元CIA関係者がその存在を認めたようですから、もはや陰謀論ではありません。
少し前まではこの手の話はバカ扱いされるような風潮でしたが、ずいぶんと風向きが変わりました。
アメリカをはじめとして、いろいろな国でこれらの事が暴かれつつあり、たくさんの人々が真実に目覚めはじめているようです。
そして、奪われ続けた“生きる権利”を取り戻そうと団結、行動を始めています。
日本はかなり遅れていましたが、4月以降、急激にその波が押し寄せてきています。
日本の現政権、役人、大企業、マスコミなどはカバールの末端ですが、裏では崩壊が始まっているようです。
もう知らんぷりしてる時ではないでしょう。
情報に関しては慎重である必要があります(偽情報も多々あるので)。
自分の頭で考える事が要求されています。
既成概念にとらわれない柔軟な発想が必要です。
ずっと準備をしていたその時が来ました。
再起動…なるか?

ANGENIEX 25mm F0.95 Cマウント(相方所有)
相方、ドラムが上手になりました。
相方の好きな事に熱中する様はもはや変態的だ。
もっとも、ぼくはその変態的なところも好きなのだが…。

さて、一年以上写真を休みました。
休んでいた期間にもたくさんの方に訪問いただいたようで感謝の思いでいっぱいです。
昨年2月ぐらいから東京、4月ぐらいから名古屋でバンドを始め、バンド熱に反比例的するように写真の方が冷めてゆきました。
現在も写真熱が戻ったとは言えないのですが、ワタシなりの出来る事、やりたい事を考えて「GALLERY」を再起動する事にしました。
ところで、「GALLERY」は写真ブログと言うカテゴリーですが、変革啓蒙と言う趣旨から、今までも一般の人があまり信じていないような文章も書いてきましたが、今後はさらにその傾向が強まると思われます。
場合によっては読んだ方が不快に思うような内容も掲載するかもしれません。
他人の感情の責任は取れませんが、万一、関係者に迷惑がかかる可能性を考えて一度リンクを解除する事にしました。
一方的で申し訳ありませんが、今までリンクでお付き合いいただいた方々、本当にありがとうございました。
昔のようなペースで更新することは難しそうですが、改めてよろしくお願いいたします。
立派

Carl Zeiss Jena TESSAR(Cx) 28/F8
帰ってきた言葉。
本日、マンション管理組合の定期総会が終わった。
これで正式に管理組合理事長としての堅気の仕事も終わり。
前にも書いたが、15年前に理事長をやったときに最後の定期総会でトラウマを作った。
だから今日は本当に怖かったし、緊張した。
定期総会は一般住民も多数来る上に、ここでのやり取りは議事録となり、公的文書として法的にも通用するものだ。
昨日の夜から何度も独りで議案をおさらいをして、声に出して議長としての議事進行の練習もした。
2代ぐらい前の理事会が臨時総会を開催したときのこと。
この時はワタシ的に聞く必要があった議案だったので珍しく出席した。
当時の理事長はワタシと同じフロアの大体同い年の男性。
やや荒れ気味の進行の中で彼は堂々と総会を仕切った。
後日、エレベーターで彼と乗り合わせたときにその時の事を「立派でしたよ」と伝えた(彼は照れていたけど)。
そして今日。
定期総会のすべての議案が無事に可決され、閉会宣言をした後に何人かの出席者から「立派でした」と言われた。
「あぁ、言葉が帰ってきた」。
素直に嬉しかった。
トラウマと怖れから逃げなくて良かった。
過去の失敗を糧に、ワタシなりにポリシーを持って一年間チャレンジした集大成としてトラウマを克服したと言っても差し支えなかろう。
思うに…、この一年間ずっと理事長さんだった。
どこかで気が抜けなかった。
やっと終わった〜。
理事の任期はあと一年残っているけど、肩の荷が降りた(次の理事長が決まる5月までは暫定的理事長だけど)。
最近 また写真熱が下がっていることは否めない

スマホにて
4月6日、4度目の抗議集会(デモ)参加。
写真は今回もらった新しいデモグッズ。
体調も悪いし、天候も荒れ気味だし、どうしようかな…と思ったが、例によって“絶対的YES”に従い、相方を誘って行ってきた。
家を出る数時間前につながっている存在に「天候…、雨、風が止み、穏やかな環境でデモに参加しているワタシを選択する」と伝えたら、家を出てデモに参加し、帰ってくるまでの間だけ本当に穏やかな天候だった(これを書いている今、外は猛烈な雨風に戻ったが)。
自分の現実の主導権は自分にある。
もっともっと丁寧に選択してゆく練習のようだ。
さて、デモ。
NOを宣言する対象は他ならぬ自分自身の内側にある。
行動で意思表示する。
だから何度も参加する事に意味があると思う。
自分の中の“それ”が「もう分かったよ、降参」と言うまで。
ここにきて“それ”の正体が見え始めている。
すでに、現政権が倒れるとかどうとかは表面的なものでしかない。
“それ”とは思想であり、歴史であり、どうやら宗教らしい。
古い宗教的思想が実はほとんどの人の中で根深くその人を支配している事は疑いようがないと思う。
「別に何とかと言う神様なんて信じてないし、スピリチュアルなんて信じないし」なんてレベルではなく、社会全体が無意識下で宗教的思想の上に成り立っている(だから古くから宗教は支配の道具に使われる)。
政治的な話、宗教と言う単語、等に生理的な嫌悪感を感じる人がいるかも知れない。
でも、自分の幸せを本気で考え始めたら、その延長にある社会情勢はどうしても切り離せない。
分断、支配の社会では真の幸せになれるとは思えないから…。
デモ関係のところで何度も書いている通り、手放す対象が見えていなければ手放す事は出来ない。
ここを手放せるかどうかが本当の分岐点のような気がする。
ようやくその対象が見えつつある。
出てくる 出てくる

GX100
世の中の動きを象徴として見るなら「出てくる 出てくる」。
これが個人の日常の中に起きている事とリンクしているなら、もう腹を決めるしかない。
問われるのは問題に対する姿勢だと思う。
自分の振動数を決定するのは問題が出てきたときの姿勢だ。
もうごまかしたり、ウソをつく余裕はない。
ワタシは「NO!」と言う

GX100
本日、3度めの首相官邸前デモ参加(写真はデモ会場で配っているライト)。
今回は独りで参加した。
情報が入れば入った分、この社会がどれほど時代錯誤の思想で侵食されているかを知る。
そしてそのやり方は実に巧妙で(内容は幼稚だが)、多くの人間は自分がこの世界でどれほど苦しめられてるかが分からないようにカムフラージュされている。
でも、知らなかったでは済まされない。
それを知るための手段はたくさんあるのだから。
以前にも書いたが、手放すべきものを知らなければ手放すことは出来ない。
そしてそれを知ったら「NO!」と言わなければ同意しているも同然だ。
ワタシは行動する。
それが「NO!」の意思表示だから。
そして自分の中にシフトをおこす。
行き倒れ…、ではなく お昼寝

HOLGA HL(W)-SN 25mm/f8
ワタシはかなりの面倒くさがり屋だ。
朝起きてからエンジンがかかるまで、かなりの時間を要する。
場合によってはそのまま昼寝に入って、エンジンがかからないまま日が暮れることもしばしば…。
時にはやらなければならない事もある。
動くまでにハードルがいくつもあるような気分になる。
億劫だ〜。
この件に関してはず〜っと原因を考えていた。
似たような傾向を持った人や自分の行動パターンをよく観察してみて分かった事がある。
“夜型人間”であること。
この仮説を前提に自分のカラダの状態や気持ちを観察していると、昼間(特に午後)はエネルギー不活性状態であるように思われる。
この「GALLERY」も夜中に写真を作って、掲載している(今も)。
夜中の方がノリが良く、動く気力が充実している。
閃きもたくさんやってくる。
気持ちもとっても前向きだったりする。
バシャールに言わせれば、これが本来のリズムらしい。
原因が分かったら、昼間ダラダラ過ごす自分を許して良いと思った

花の荒野

GX100
引退してオブジェとなっていたGX100を久しぶりに持ち出してみた。
やや動作に不安定な部分はあるが、まだ使える。
これを機に現役復帰なるか。
* * *
ワタクシゴトだが、マンション管理組合理事長の仕事が一段落ついた。
4月の定例総会が終わったら無事お役御免だ。
約15年前も理事長をやった。
その時、最後の定例総会で落とし穴にハマった。
なので、次に理事就任依頼が来たら頑なに断るつもりだったのに、昨年、赤紙(就任依頼)が来た時ココロの奥で「受けるべし」と言う絶対的YES感覚を感じて承諾してしまった。
そしてまさかの初年度からの理事長…。
トラウマを解消する時だと思った。
とりあえず15年前の失敗を徹底的にチェックした。
15年前、若さも手伝ってワタシは独善的に管理組合を運営した事が落とし穴に落ちた要因であると理解した。
正義感は高揚感はあったが偏狭で排他的だ。
その反省から、今回は独自意見は持ちながらも合議制を重視して理事会を運営した。
“引く”事を意識した。
ワタシがやっている「自分力」的な発言はもちろんしない(現実は意識から創造される、とか云々)。
「自分力」は知識ではない。言葉でもない。在り方なのだと一年間の堅気の理事長職を通して深く理解した。
最初の失敗から15年…、自分の在り方をコントロール出来るくらい成長した事を実感した。
たとえ肯定的であっても、感情にとらわれているうちは自分の中心からズレていて視野が狭くなる。
HOTであり、同時にCOOLであること。
充実感は感情ではなく、感覚だ。
福の神と貞子…

HOLGA HL(W)-SN 25mm/f8
縁起が良いんだか悪いんだか…、それはアナタ次第…。
静かに、そして力強く

Carl Zeiss Jena SONNAR(Cx) 135/F4
16日の夜もデモに参加してみた。
16日のデモは「決戦は金曜日」と言うタグで広く告知されていたためか、冷たい雨にも関わらず、前回参加した時より参加者の数も、お巡りさんの数も数倍に増えていた。
さすがにここまで人が多いとそれなりに物々しい雰囲気になり、ヴォルテージが上がるにつれ殺気立つような空気感が広がってゆく(雨による不快指数の上昇も関係していたと思う)。
前回参加した時の空気感とはちょっと違う。
参加者が増えれば、数の問題だけでなく、質も変化すると言うことだろう。
確かめたい事があった。
これは望むカタチではない、と前に書いた。
何に共鳴出来ないのだろう。
何に共鳴したいのだろう。
相手を罵るようなシュプレヒコールの叫びが気になる(そう叫びたい気持ちはワタシの中にもあるが)。
権力者を悪にして、自分の正義に酔いしれる在り方には共鳴出来ない。
試しにシュプレヒコールで声をあげてみた(前回は声をあげなかった)。
パワーは感じなかった。
雨があがって傘を閉じ、夜空を仰いでみた。
やっぱりハートの辺りがジンジンと躍動している。
ニュートラルな変革のエネルギーを感じる。
これがここにいる理由だ。
一緒に来た仲間達と共有出来ると感じた。
デモの側にいようと、権力(お巡りさん達を含む)の側にいようと否定性を行使しているのならそこに共鳴はできない。
否定性を否定するやり方はワタシが学んだやり方ではない。
アメリカの高校生が銃規制の強化を訴えてデモをしたニュースを見た。
彼らは無言で銃規制強化を訴えたらしい。
このタイミングでこの記事を見たのは偶然ではない。
意思表示のための行動は必要だ、と、デモに2度参加してみて思った。
それは自分に対する宣言だと思う。
でも、流され、怒りにまかせて叫ぶ事が訴えるための有効なやり方だとは思えない。
火に油を注ぐが如く、否定性を強化することになる。
多分、またいつかデモに参加すると思う。
その時はワタシなりの在り方で静かに、そして力強くそこにいたい。
自分のために。
熱気

スマホにて
3月14日 19:52 首相官邸前
周りの人々も、お巡りさんも皆親切だった(集団としては対立的立場同士だけど)。
望む変革はこういうカタチではないけど、世の中を変えようと言う思いが一致してパワーとなるリアル体験は貴重だ。
変革のエネルギーの中に身を置くのがやっぱり好きだ。
望むカタチでないにしても、ここは変革のエネルギーに満ちていた。
胸の辺りがジンジンした。
ずいぶん前からデモは一度体験してみたかった。
信念のままにワタシは自分のやり方を推進して来たが、ふと“アタマデッカチ”になっていないか?と自問自答することもあった。
でも、このカタチを体験してみて、ハッキリと自分の立ち位置がつかめた。
エネルギー、現実、思考、思い、感情、観念、…もう一度整理し直す。
風向きが変わった

Carl Zeiss Jena TESSAR(Cx) 28/F8
ようやく確定申告を提出し終わった。
いつも年始からこの時期まではココロに枷をはめられているような気分になる。
つまりは面倒臭い&納得出来ないのだが、喜んで税金を納めたくなる世の中ならもっと積極的にやりますよ。
この間、女房が高熱を出したり(インフルエンザではなかった)、マンション管理組合理事長さんの堅気の仕事があったりとエネルギーが分散するような流れもあったけど、一つ一つ丁寧に取り組んで今は晴れて自由の身ヽ(`▽´)/
* * *
風向きが急に変わった。
一週間ぐらい前に「人間性を否定する今の社会システムはもう充分味わったから、そろそろ終わりにしよう」なんて思ったら世の中の動きに加速度がついた。
“2018年は何かある”の第1弾かな。
もちろんこれで一気に望む世界へと移行して行くとは思っていないけど、今ある変動は旧世界の要だったもの(否定性のルール)が衰退し始めた現れに見える。
世間を騒がしている書類改竄などはその末端の動きで、いつもと違うなと思うのは権力側についていたいくつかのメディアが攻撃の矛先を現権力側に向け始めたことだ。
これは表に見えるもののバックボーンの勢力図が変わりつつある事を意味しているように思う。
北朝鮮が米国と首脳会談を行うと言う動きもこの事を示唆している。
残念ながら日本だけが旧勢力に牛耳られたまま世界の動きから著しく取り残されているようだ。
ちなみにこの事は陰謀論でも何でもなく「日米地位協定」の中で公にされている話。
もっとも今回の風向きの変化はこの旧勢力の力が日本でも不安定になってきたゆえと思われる。
自分の反映に例外はない。
この動きもまた自分の内側の変化なのだと確信する。
前述したように自分自身の選択なのだ。
何を見たいのか、の。
なので、本日、相方を誘って国会前に行ってみようと思う(デモをやっている)。
内なる変動のうねりを肌で感じてみたい。
さらに加速が進むかも…。
仲良くなる方法を考えている

Carl Zeiss Vario-Sonnar T*70-210mm/f3.5AEG(YC)
カラスには何故か親しみを感じる。
道で会ったら一応挨拶をしてみる。
時々話しかけてくるようにも感じるのだが、なかなか距離感は縮まらない。
仲良くなる方法はないものだろうか。
* * *
これが本音だろう。
改憲案の中に「緊急事態条項での私権制限」が盛り込まれるそうだ(by 朝日新聞)。
簡単に言えば、災害等の緊急事態の際、国民の権利と自由を強制的に制限出来る規定と言うことだ。
これに緊急時における政府の権限集中、選挙の中止、などを加えるといわゆる独裁国家となる。
緊急時の認定は政府がする。
“国難”と言えば済むのだから簡単なものだ。
メディアがグルなら、事実であるかどうかも関係ない。
ワタシの人権も、自由も、命も、アナタの人権も、自由も、命も、ウソつきでデタラメしかないあのニタニタ笑う人達の手に握られる。
一番懸念していたことがとうとう出てきた。
腹を据えて取り組む時が来た。