化学反応

Hexar 75/F3.5
一人で撮るより皆と一緒に撮りに行った方が面白い写真が撮れるように思う。
一人の時は自分のワクを出にくいけど、誰かと一緒だと何らかの化学反応が起きて、自分のワクを越えるのが容易だったりする。
心が共にいる事が大事だけど(皆と一緒に行っても一人に入ってしまっては意味がない)。
後で撮った写真をシェアするのも楽しい。
人の痕跡

Kilfitt Makro-Kilar TypeD 40/F2.8
階段を上がり切った所に飲み残しのカップがあった。
これをここに置くに至ったのにはどんなストーリーがあったのだろう?と考えてみた。
人の痕跡を追うのは想像力のトレーニングになりそうだ。
走り慣れた道

Anticomar 50/F2.7
5年後のオリンピックのための施設が猛烈な勢いで建設されている。
この見慣れた光景もあと少しすると激変するのだろう。
それにしても…、ベスト判フィルムのカーリングには本当に気持ちが萎える。
スキャンしている時は「もうこのカメラは観賞用にしよう」と本気で思うのだが、出てきた絵を見ると「また使ってもいいかなぁ」と思うのが問題だ。
そう言うワケでマキネッテは一年に一回しか出番がない。
(一年経つとカーリングの大変さを忘れると言う意味)
天気が良いので…

Hexar 75/F3.5
急だけど、銀座のホコ天で相方とカメラを持ってウロウロしているので、気分が向いた方、ご一緒にいかが?
黄昏に思う

Heliar 75/F3.5
何事にも終わりがある。
だから次に行ける。
自転

RICOH GR LENS 28/F2.8
ある事を終わらせたから次に進むのだと思っていた。
先日、ある事を決めたら、偶然のように長らく懸案事項になっていた事にケリがついた。
そうか…、決めたから次に進むのだ。
先祖返り

RICOH LENS A16 24-85/F3.5-5.5
2007年にGX100を買った時、その隣に何気なく置いてあった兄弟みたいなGR DIGITALもちょっと気になった。
しかし、当時のワタシはまだデジカメに機能性を求めていたのでズームのついたGX100の方を選んだ。
しばらくして、だんだんと分かってくるうちに、どうやらGRと言うのはスゴいカメラらしく、なんでもコンパクトカメラでありながら一眼レフ並みの高性能レンズが搭載されているとか何やら…。
しかし、当時の高松の友人にGR DIGITALを奨めてその写りを見ても何かピンっとは来なかった。
しばらくしてライカを使うようになってからは、そのGRについているGR LENS 28/F2.8をそのままライカマウントにしたレンズを使ってみたけど、これもまたピンッとは来なかった(これは現在、流れ流れてuokaoのところにある)。
どうやら広角28mmと言うのが苦手なようだ。
そんなワケでしばらくワタシの中では広角28mmは使いにくいレンズと言う印象がついていた。
その印象が変わったのは、昨年の秋にtomokoと吉祥寺に撮影に行った時、ライカCLにテッサー28mmをつけてスナップ写真を撮ったことからだった。
印象の変化はワタシの中で少しずつ熟成していたようで、今回GX100が引退することも手伝ってそのGX100やGR DIGITALのご先祖様みたいなフィルムカメラ「GR1v」にとうとう手を出してしまった。
GR1vはワタシがこだわった機械式カメラではなく、電子シャッターでAF、AEで撮るカメラだ。
フィルムカメラでAF、AEなんてどれくらいぶりだろう?
かくして先日のゲリラ撮影会ではこのGR1vで色々撮った。
いやぁ、楽だ(特に最近は面倒くさいカメラばかり使っていたから余計そう思う)。
まだAEに慣れなくて手ブレの写真もたくさんあったけど、描写は噂に違わぬ写りで、いつものラボで速攻プリントしてもらって見たらちょっとビックリした。
初めてGRを見た時、いつかは買うかも…と言う思いがあったのを押し隠してきたけど、タイミングが来るまで待っていたのかな。
ノーファインダーなんかも試してみたけど、これはなかなかイケる。
しかし、壊れたら修理不可のようなので、大切に使っていこう。
収録中

RICOH GR LENS 28/F2.8
GR1vでの初ノーファインダー写真。
カイダン

Kilfitt Makro-Kilar TypeD 40/F2.8
この階段には、首のない女の霊が出ると言う怪談がある。
ウソですけど…
mini 三部作 ーその三ー

Heliar 75/F3.5
別にminiのファンでも何でもないけど、絵になるクルマだから撮ってしまう。
あ、でもちょっと乗ってみたいかな…。
女子(?)カメラ 三人衆

RICOH GR LENS 28/F2.8
日曜日の銀座ホコ天には、意外にもクラシックカメラを持った人がそこそこいた。
ものすごくデカい箱型カメラを持った人もいた。
しかし、クラシックカメラを持った女子(?)←クドいカメラ三人衆の迫力はその比ではない。
銀座四丁目交差点が、さながら“モーゼの十戒”のように割れた。
ただいま朽ちております…

Kilfitt Makro-Kilar TypeD 40/F2.8
3日間の名古屋出張(皆さん有難う)と翌日の東京でのワーク(こちらも皆さん有難う)でエネルギーが加熱し過ぎたのか、ただいま朽ちております。
今回は不思議な事もたくさんあって、それもあってオーバーロードしたかも知れません。
昨日のoffは一歩も外に出なかった。
3時頃、さすがに空腹に耐えかねて最後の砦のように取っておいた数日前に焼いた大豆粉パンを食べた。
半分くらい食べた後に不思議な光景に気付いた。
パンが糸をひいとる…
空腹感との激しい葛藤があり、原料が大豆粉だから醗酵して納豆のようになってるのだと無理やり思い込もうとしたけど、あまりの不気味な光景に結局捨てました…。
幸い、今のところ生命に別状はないようです(お腹もこわしていない)。
不思議な時空を旅してる

RICOH GR LENS 28/F2.8
時間や空間は実は意識の中にあって、ワタシ達はそれを外に投影したものを現実と認識しているだけと言う説をワタシは信じている。
仏教などでも「動いているのは世界ではなく、自分の心だ」などと教えているらしいし。
だから、意識の構造が変化すると時間や空間の概念が変化する。
この仕組を理解し、使えば時間や空間を超える事(伸ばしたり縮めたり等々)が可能らしい。
前の記事にも書いたように(腐ったパンを食べた話ではない)、今回の名古屋・東京のワークではある波動で共鳴する実験をやった(←どんな実験かはおいおいまた)。
望んだ結果を100%得るまではいかなかったけど、それなりに興味深く、面白い体験をしたことには大変満足した。
さて、その名古屋からのクルマでの帰り道。
名古屋から東京までは通常普通に運転すると約5〜6時間かかる。
この日は懇親会でついつい時間を過ごしてしまい、帰路を出発したのがいつもより遅い夜の10時頃だった。
連日の仕事で、さすがに肉体的疲労感は否めない…、しかも翌日も仕事だし。
多分仮眠をとりながら安全運転で進むから到着は明け方3時半から4時かも知れないな、と思いながら、せっかくだからクルマの中でその日にやった実験(ある波動を創りだし、共鳴する)を再度運転しながらやってみた。
で、結論から言うと、2時半に東京に着いた。
名古屋から東京までの所要時間がどう計算しても4時間しかかかっていない(途中30分程仮眠した)。
…つまり時間を間引いたとしか思えない。
過去にも何度かクルマの運転中に時間を飛び越えた事はあったけど、意識的にやったのは初めてだ。
いずれこの技の再現性を検証しようとは思うけど、何もクルマに乗っていなくても普通に歩いている時でも使えそうだ。
今日は銀行での待ち時間を短縮してみた(←自分でもちょっとビックリしたけど)。
冒頭に書いたように、時間は意識の中にある。
こういった意識や波動の変化を現実に反映させる事で、さらに人生を向上させてゆける可能性についてを改めて実感した。
正義って、何だ?

Kilfitt Makro-Kilar TypeD 40/F2.8
心の事をやっていると微妙な捉え方が生き方に大きな差を生む事に気付く。
人は…
「自分の中に怒りがあります」とは言える。
でも…
「自分の中に憎しみがあります」とはなかなか言いづらい。
怒りには自分の中の“正義”を感じられるけど、憎しみの中には“悪意”を感じるからだろう。
だから憎しみを持っている自分を見逃す。
それは気付くまで現実の中で何度も繰り返される。
「ワタシは拗ねている」は受け入れられても、「ワタシは僻んでいる」は受け入れ難い。
僻みの中には“悪意”が宿っているからだと思う。
恐れているのは自分の中の“悪意”かも知れない。
そしてそれは常に“正義”と一枚のコインの裏表のように思う。
そこを超えた在り方を知る。
帰ってきたギター少年

RICOH LENS A16 24-85/F3.5-5.5
先週の名古屋のクラスでシホがギターを持って来ていたので、ちょっとだけ弾かせてもらった。
ワタシがギターを始めたのは15歳ぐらいの時だ。
当時の友人が目の前でコードを「ジャラ〜ン」と弾いた瞬間に心を奪われてしまった。
初めて買ってもらったギターはYAMAHAの15000円のギター。
今でもあの感触は覚えている。
嬉しくて、毎週土曜日は仲間と集まって夜遅くまでギターを弾いて歌っていた。
高校の時はバンドを組んで学園祭に出たり、ライブなんかもやってみた。
本気で音楽の道を目指そうかと思った時期もある。
会社員の時、会社の新年会で赤プリのステージでライブをやったのを最後に音楽への情熱はいつしか消えていった。
あ、ウクレレだけは時々弾いていたか…。
でも、本当はいつも心のどこかでギターの事が気になっていた。
まるで音楽をやっていた頃の自分を置き去りにしているような気持ちだった(そんな悲痛な思いじゃないけど)。
名古屋でシホのギターに触れたとき、素直に楽しいと感じた。
東京に戻ったら「またやってみようかな」とギターを探し始めていた(ホントはちょくちょく見ていたけど)。
どうせ買うなら死ぬまで使える一本が欲しい。
妥協はしない。
現実創造の技をフルに使った。
パーラーギター(いわゆる普通より小さいサイズのギター)であること。
ハイポジションまでピッチがしっかりしてること。
そして、一番の難題が、サウンドホールがピックギターのように「f」であること。
探してに探してとうとう一本だけ見つけた。
K.Yairiのノクターンと言うギターのカスタムモデル(販売店のオーダーメイドらしい)。
K.Yairiはすべて職人の手作りで品質には定評がある。
実は、いつかは使ってみたいと密かに思っていたので、今回それも叶った。
見ているだけで嬉しい。
さて、しばらくギターから離れていたので指先がふにゃふにゃですぐに痛くなってしまう。
当分の間はリハビリだな。
新しい曲も覚えたいな。
もう少年ではないけど、ワタシの中にギター少年が帰って来た。
こいつは何か危険なニオイがする…

RICOH GR LENS 28/F2.8
ヤツは何かを隠し持っている。
何かを企んでいる表情。
からだ全体から発せられる怪しいオーラ。
何か危険なニオイがする…。
昨年、仲間内で流行った銀座の天使だけど、ワタシは携帯電話の不具合で参戦しそこねた。
今さら、って感じがしないでもないけど…(過去に何度か掲載しているけど)。
古きもの

Kowa 85/F2.8
先日の新しいギターを買ってから、古い楽譜(約40年前と言うモノもある)を引っ張りだしてポロポロ弾いていると、当時の事とかが鮮明に思い出される。
今の時期、仲間内から「子供の頃のことを思い出す」と言う話をよく聞く。
別にトラウマとかそう言うものではなくて(トラウマも出てくるかも知れないけど)、どちらかと言うと“感性”の話だ。
多感だった子供の頃を思い出すと言うのだ。
ギターの件があるからよく分かる。
ワタシのポリシーの一つに「子供の感性と大人の理性の融合」と言うのがある。
子供の頃は方法が分からずに、感じていたものを上手く表現出来なかったけど、大人になって色々と工夫出来る今、思う存分にもう一度それを表現しよう、と言うものだ。
大人の理性は、分別臭く子供の感性を制限するためでなく、工夫し、上手く表現することのために使えば人生の可能性はより大きく広がる。
古きものから取り戻せるもの。
バカバカしい事でも大いに真剣にやる。
だから人生は豊かだ。
GR Snapshot #1

RICOH GR LENS 28/F2.8
タノシソウニシゴトヲシテイタ。